説法

TATSU-Gです。

先日お寺に行きお話を聞きに行きました。

説法です。

たまには良いですよ!

ところで、鑑真さんってご存知ですよね
歴史の教科書に出てきますよね
学生の頃は西暦何年とか人名とかとりあえず
頭に詰め込むだけでしたが、何をした人ぐらいは覚えていますね

鑑真大和上について

14歳の時に出家して21歳の時に和上として僧侶になられました。
その後40代半ばまでに4万人の僧に授戒し3万以上の写経を残す
など中国でもとても有名な高僧として知られるようになっていました。
授戒とは仏門に入るための戒律をうけることを言います。

戒律を授けることができるのは普通の僧侶ではダメで修行を積んだ
今でいうならば免許を持った方しかできないのです。

その頃の日本の状況

その頃の日本は聖武天皇が大仏を建立し仏教は広がっていたが
本当の教えからは遠いものとなっており、誰でも僧侶になれる
くらいのひどいものになっていたのでした。
それを正すには「戒律」が必要で、日本には戒律を授ける僧侶が
いなかったのです。
そこで栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)という2名の僧侶に
授戒ができる和上を中国からお連れするようにとの命を授け
733年遣唐使として派遣されたのでした。

広く人民に浸透している仏教を使い国を統治するという政治的な
ものだったと思われます。

渡航

唐に派遣された栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)ですが
日本まで来てくれる和上がなかなか見つからず、9年も
かけようやく鑑真大和上にお会いすることができます。

鑑真さまは弟子たちに日本に行くものはいないかと尋ねますが
だれも返事はしません。そこで鑑真さまは自分が行くと決意した
そうです。お師匠様が行くのなら話は別ということで20名
以上の弟子たちが名乗りを上げたそうです。

その頃の日本への渡航はまさに命がけでした。現代のように
飛行機もないのですから。。。。僕だったら行かないですね
数十パーセントの成功確率しかないのに、弟子のリークや
中国政府の妨害など度重なる苦難を乗り越えようやく
6回目にして日本へお越しになられたのです。

栄叡(ようえい)も5回目の渡航で命を落とします。

鑑真大和上 66歳 

渡航を決意してから12年もかかったのです。
繰り返しの渡航失敗で失明までしてです。

真似できません 僕には。。。。

来日してから

来日してからは、東大寺にて聖武天皇に戒律を授け
それから多くの僧に授けていきます。
758年に引退し唐招提寺を開きます。
763年 鑑真大和上76歳 その生涯を閉じました。

日本の仏教は鑑真大和上がいなかったらここまで私たちの生活に溶け込むことは
なかったと思われます。

この説法で一つ疑問が残りました。

何でここまでして
見ず知らずの土地・言葉も通じない土地へ
来たのか?

普通だったら2回ぐらいの失敗で辞めますよね
中国でもかなり地位が高い高僧ですから、
ましてや光を失ってまで来日する必要なんてないですよね

その疑問はお坊さんの中でも?らしいです。

簡単に「昔の人は偉い!」なんて言葉で片付けられません。

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